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メディカルメイクアップによって培われた、白斑と共存して生きる覚悟

稲垣 一江 様

9歳の時に診断された「尋常性白斑」

私は両親と三姉妹の長女として平穏に暮らしていましたが、ある日母がいつものように私たち姉妹を縁側に並べ、散髪をしていたところ、「あれっ、何これ!」と声を上げました。頭皮に5cmくらいの白斑を2か所見つけたのです。
母は私を自転車の後ろにのせ、町の小さな皮膚科に連れていきました。診断は、残酷な「尋常性白斑」でした。「この病気は一生治りません。でも、これは痛くもかゆくもない病気ですから」との医師の説明に、何が何だかわからずの私でしたが、母は泣いていました。母の涙に私はとても不安になり、母の腰をしっかりつかんで自転車にまたがり、石ころだらけのがたがた道を帰りました。 その時、私は9歳、小学校3年生になったばかりでした。この日から、家族と私の辛掠な苦労の日々が始まったのです。
それから半世紀もの問、悩みや苦しみが続くとは、この時には想像もつきませんでした。間もなく群馬大学病院や東京の大学病院への通院も始まりましたが、どこでも絶望的な診断結果に途方に暮れるばかりでした。効果があると言われた治療はすべて試みましたがその甲斐無く、小学校6年生の時、ついに白斑は耳の後ろから胸の部分、腰の部分へと広がりました。梅や桜が咲く新学期の健康診断(当時は裸で受けた)を迎える時期には何とも憂うつになったものです。子ども心にも人の視線の重圧感にさいなまされ、この頃になるとこのつらさは家族には言えず、一人で抱え込むようになりました。今でも桜が咲く頃には当時を思い出し、胸が痛くなります。
町医院での辛い治療も始まりました。自分の血液を採取し、それを白斑の患部にツベルクリンのように、ボツボツと1cm間隔に注射器で刺すのです。うめくほどの痛さでしたが、じっと我慢しました。血液は凝固して、注射器が破裂してしまうと、また血管から採取を繰り返します。痛さだけが延々と続く治療でした。最後には、先生が「痛いだろう? もうやめようね」と言うこともありました。そんな辛い治療法でしたが、やはり効果的ではありませんでした。治療後2~3日は赤くなり、色素を呼び戻せるかのように見えるのですが、すぐ元に戻ってしまうのです。

白斑を隠すための努力、そしてカバーマークとの出合い

当時は今のように情報が飛び交う時代ではなく、同病相哀れむ人もなく一人で悩み続けました。中学校2年生の頃には、白斑はまぶたの上、首にも広がり、絶望的でした。大好きな体育の日、膝から下の白斑が気になって登校を渋った私に、父は肌色のクレヨンを塗りました。もちろんその見栄えはひどいものでした。次に考えたのは、絵の具です。白、こげ茶色、ピンク…と塗ってみましたが、やはり難点はありました。そのたびに「肌色のクリームのようなものがあったらいいな」と思っていました。
ある日、私は大人の雑誌に「赤あざを隠せる」という言葉を見つけました。使用前後の写真が載った小さな広告があり、説明には「白斑」とはなかったのですが、妙に気になり、その後は手に取った月刊誌からそれらしき広告を探すようになりました。そのうち、何かの広告に「白斑」という文字があるのを見つけたのです。その時はうれしくてうれしくて、天にも昇るような気持ちでした。新聞、雑誌で「白斑」の活字を見たのは初めてでした。白斑については、人に語ることなく隠し通していましたが、不思議なことにすらすらと白斑の悩みを手紙に綴って、この広告の会社へすぐに送りました。それから返事をいただいた時のうれしかったことは50年経った今でも忘れられません。
手紙には、スタッフも私のような悩みをもつ方たちばかりであることと、新宿の薬局に行くように住所が記されてありました。手紙の中にあった「カバーマーク」という言葉が何なのか、まったく見当もつきませんでしたが、私は早速新宿を目指しました。
交通事情が悪い当時、群馬から日帰りはとうてい無理で、都内で1泊した覚えがあります。新宿の薬局を訪ねると、局員の男性の方が自分の顔の怪我の跡を、カバーマークを使ってきれいに仕上げて見せてくださいました。あまりの見事さにびっくりしていると、その男性は私にもメイクをほどこしてくれました。白い部分がみるみる塗られ、隠されていきます。完了した時の出来栄えは信じられませんでした。そうして私は中学校2年生にして化粧品なるものをそろえ、この日からカバーマークが私の命となったのです。
それにしても発病から6年! 私は多感期真っ盛りの中学校2年生になっていました。もう少し早くメディカルメイクアップに出合えていたなら、あれほどつらい思いはしないで済んだだろうに…。学生であるため控えめにつけていたカバーマークも、やがて社会人になると堂々とつけるようになり、精神的にもとても楽になりました。

メディカルメイクアップの恩恵を感じる日々

当然結婚はあきらめていましたが、幸いなことに優しい理解ある主人とめぐり会い、2人の子どもにも恵まれ、今はとても幸せです。
白斑のために私の人生は憎らしいほど大きく変わりましたが、メディカルメイクアップのおかげで私の毎日が救われ、大きく変わったことに感謝しています。白斑は広がるところがなくなるまで、まだまだ広がり続くでしょう。それを心の負担に思うのではなく、自分の一部として、永遠に共存して生きる覚悟をしなくてはなりません。私はメディカルメイクアップのおかげで、その覚悟ができたように思います。
医療的な治療ももちろん大切ですが、私は「心の治療」としてメディカルメイクアップが絶対に必要であると思っています。医学もメディカルメイクアップも、さらに進歩されることを願ってやみません。