太田母斑によって心を閉ざしていた過去
私の太田母斑は生まれた時からのものでした。
最初は右目の周りに薄くあるだけでしたが、中学生の頃から徐々に広がり、
20歳までに顔の右半分にまで広がりました。
当時はあえて明るく振る舞っていましたが、本当はとても気にしていました。
周囲の人の名前や顔を覚えるのをやめてしまった時期もあり、
そのせいで、同窓会で仲の良かったという方に再会しても、まったく記憶がないのです。
自分で周りの世界をシャットアウトしていたんですね。
母も、私のことは明るい子だと言ってくれていましたが、お客様が家に来ると「奥に行っていなさい」と言われました。
私が傷つくと思ってのことでしょうが、私にとってはショックな言葉でした。
そんなある日、デパートの一室で当時のジャパンオリリー株式会社(現オリリー株式会社)に
メディカルメイクアップをしてもらう機会がありました。
しかし、不自然に厚くファンデーションで隠されたのがとても嫌で
「自分で自然にきれいにカバーできるお化粧がしたい」と強く思いました。
それで思い切って会社に「入社させて下さい」という主旨の手紙を、会社に送ったのです。
それがご縁でこの仕事につき、今では天職となっております。
メディカルメイクアップをきっかけに
今、私は自分と同じ悩みを持つ方々のため、できる限りの活動を行っています。
メディカルメイクアップによって、その人が本来持っている明るさ、
前向きな気持ちを取り戻してくれるよう願っています。
ただ難しいのは、メイクアップで隠せばそれですべて解決するというわけではないという事実です。
素顔でいたい日もあるし、子供とプールに行きたい時もあります。
メイクを落とした時に、やはり落ち込んでしまう気持ちもあるでしょう。
私たちはそういった時に、その都度相談できる相手でありたいと願っています。
患者さんにはいつも、本当に「きれいになる」ためには隠すことだけが大事なのではありませんよ、
とお伝えしています。
重要なのは「気持ち」を変えること。
メイクアップはそのきっかけに過ぎません。
外出するときはきれいにメイクアップして、家に帰ったらメイクを落とし、
マッサージして血流を良くして、自分をリラックスさせ慈しんであげること。
そういった気持ちが大切なのです。
私たちが力になります
最後になりますが、もしメディカルメイクアップにご興味がおありでしたら、
ぜひ無料カウンセリングや講座を受けてみてください。
症状をお持ちの方はもちろん、施術をしてみたい方まで、どなたでもご参加いただけます。
私たちはメディカルメイクアップの普及と、症状をもつ方々の本当の笑顔のため、これからも活動を続けてまいります。