私たちについて
メディカルメイクアップアソシエーションは、2001年に設立した東京都認可の特定非営利活動法人です。
皮膚障害や皮膚変色を抱えた方の精神的負担を軽減し、健全な日常生活を過ごしていただくことを使命に、
メディカルメイクアップの技術指導や医療の補助手段として普及させるさまざまな活動を行っています。
メディカルメイクアップアソシエーション事務局長からの
メッセージとメディカルメイクアップの歴史
皆様はじめまして。
メディカルメイクアップ アソシエーション事務局長の小井塚千加子です。
私自身、顔の右半分全体に太田母斑があります。
左上に掲載している写真をご覧になり、
そのことにお気付きになる方はほぼいらっしゃらないと思います。
私はこのメディカルメイクアップという技術に出会い、
人生が変わった者の一人です。
太田母斑によって心を閉ざしていた過去
私の太田母斑は生まれた時からのものでした。
最初は右目の周りに薄くあるだけでしたが、中学生の頃から徐々に広がり、
20歳までに顔の右半分にまで広がりました。
当時はあえて明るく振る舞っていましたが、本当はとても気にしていました。
周囲の人の名前や顔を覚えるのをやめてしまった時期もあり、
そのせいで、同窓会で仲の良かったという方に再会しても、まったく記憶がないのです。
自分で周りの世界をシャットアウトしていたんですね。
母も、私のことは明るい子だと言ってくれていましたが、お客様が家に来ると「奥に行っていなさい」と言われました。
私が傷つくと思ってのことでしょうが、私にとってはショックな言葉でした。
そんなある日、デパートの一室で当時のジャパンオリリー株式会社(現オリリー株式会社)に
メディカルメイクアップをしてもらう機会がありました。
しかし、不自然に厚くファンデーションで隠されたのがとても嫌で
「自分で自然にきれいにカバーできるお化粧がしたい」と強く思いました。
それで思い切って会社に「入社させて下さい」という主旨の手紙を、会社に送ったのです。
それがご縁でこの仕事につき、今では天職となっております。
メディカル
メイクアップ
の歴史
メディカルメイクアップの歴史をさかのぼっていくと、とある一人の女性に辿り着きます。
彼女の名前はリディア・オリリー。
彼女の一日は、世界中から届けられた手紙に目を通すことから始まります。
様々な人の皮膚の悩みが綴られた手紙を読むと、リディアはペンをとり、
迷える子羊たちに返事を書きます。
彼女こそ、かつて皮膚の病気で悩み、やがてその病気をメイクでカバーできる化粧品を開発した、
メディカルメイクアップの生みの親なのです。
彼女の奇跡的な発明と、そこに至るまでの経緯について興味をお持ちの方は、
下記コンテンツをぜひご覧ください。
私たちインストラクターは皆、オリリー夫人の思いを継承しています。